Career Story

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2024.07.22

【堺東支店】マネジメントできる機会をいただき、OSTechに帰ってきました

2万名を超えるエンジニアが在籍するアウトソーシングテクノロジー。多様なキャリアの持ち主が集う中には、「いったんOSTechを退社したが、再びジョインした」という“出戻り”メンバーもいる。堺東支店に所属する難波孝司もそのひとり。メーカーの現場で、機器の組み込みソフトの仕様をまとめるエンジニアチームのリーダーだ。今回は、「マネジメントに携わりたい」とOSTechを一度飛び出したが、その後、リーダーとして戻って来た難波を取材。異色の経歴を持つ彼が感じるOSTechの魅力について、語ってもらった。

PROFILE

  • ■難波 孝司(機電事業本部 堺東支店/Team Leader)

ニッポンの繊維産業の復活に貢献する業務

まずは自己紹介を兼ねて、難波さんの現在の業務内容を教えてください。

今は、繊維系の工場で使われる製造機器メーカーの現場で、機器の組み込みソフトに関わる業務に携わっています。お客様先ごとに、機器に求められる機能は異なります。それぞれのニーズに適合した機能を発揮できるように、組み込みソフトの仕様を取りまとめるのが主な仕事です。ソフトとハードの両方の知識が求められるのが特徴。高いレベルの業務なので、エンジニアとしてやりがいがあります。

また、品質を守りながら、ヒトによる製造工程を極力少なくすることによってコストを削減し、優秀な製造機器を生み出すことは、世界の繊維産業に貢献できる仕事です。その点でも、やりがいを感じています。

時期によって人数は異なりますが、開発業務を担当してくれているOSTechの若手メンバーを含め、数名のチームで業務に携わっています。私はそのチームのリーダーですが、現状はマネジメントよりもプレーヤーとしての業務がほとんど。というのも、経験の浅いメンバーが多いので、まずは私自身がお手本にならなければいけないからです。しかし、成長意欲の高いメンバーばかりなので、いずれ私がマネジメントに専念できるようになると期待しています。

透明な人事評価制度がOSTechの魅力

ソフトとハードの両面の知識があって、お客様から一目置かれているのですね。難波さんがエンジニアとして、そこまで成長するまでに、どのようなキャリアを歩んで来たのかを聞かせてください。

元々、モノづくりに関心があったので、大学での専攻には建築学を選びました。でも、授業の一環としてプログラミングを学び、「これはおもしろい!」と思ったことが転機に。“ITによるモノづくり”に興味が湧き、ITエンジニアを目指すことにしました。IT企業をメインに就活した結果、OSTechとは別のSES(System Engineering Service)企業に新卒で入社。組み込みソフトを含めて、さまざまなプロジェクトに携わりながら、複数のIT企業を経験。エンジニアとして成長することができました。

そのなかで実感したことは、「SESという形態は、大企業の案件を含めて多種多様なプロジェクトを経験できるので、スキルアップできる」というメリットがある半面、「所属先の会社から離れた現場に勤務するため、会社からどう評価されているのかわかりづらい」というデメリットがあること。実際、OSTechの前に所属していた会社では3年間、一度も給与がアップしませんでした。「何をどうがんばれば昇給に繋がるのか」が不透明だったのです。

OSTechに転職したのは、前職と比べて大企業の案件を幅広く手掛けているので、よりエンジニアとしてのスキルアップができそうだったから。キャリアップ支援制度が整備されていることも魅力でした。

退職後もメンバー同士の交流は続けていた

OSTechに転職して、期待通りの待遇やキャリアを実現できましたか。

それが、少し回り道をしてしまいました。OSTechの人事評価制度はわかりやすいので、「前職よりも大きく年収アップするには、プロジェクトリーダーなど、マネジメントに携わればいいのだな」と。「そろそろ自分の経験や技術を若手に伝える役割を果たしたい」と思い始めていた時期でもありましたし。それで、初めての現場では、「マネジメントに携わりたい」という希望を、担当の営業さんに伝えたのです。

ただ、タイミングの悪さも重なってしまったのか、営業さんからは「今はそのニーズがあるお客様が少ない」と。「少し待てばメンバーが増員され、チームをマネジメントするチャンスがあるかもしれない」という話でした。営業さんがいずれ、私の希望を叶えようとしてくれているのは伝わってきたのですが、なかなかプロジェクトが発生しなかった。結局、OSTechを退職することになりました。

OSTechが難波さんに期待するものと、難波さんがOSTechに期待するものが、かみ合わなかったのですね。

そうかもしれません。大阪で働きたい希望もあり、さらに自分が志望している組み込みの案件で、マネジメントとなると確かに数も限られていたと思います。
OSTechの後に転職した先には、受託開発を手掛けているIT企業を選びました。業界トップクラスであるOSTechでの経験から、「SESではキャリアアップしていくのに限界がある」と思ったからです。ただ、OSTechのメンバーとの交流は続いていました。退職から1年くらい経ったころ、そのひとりが「難波さんが求めていたプロジェクトが出て来たので、戻ってきませんか?」と声をかけてくれました。

それが今、私が携わっている現場。経験の浅いメンバーに私のスキルを伝えながら、チームをつくり上げていくという役割で、理想的でした。それで“出戻り”することに決めたのです。元々、携わる現場が私の目指すものに合わなかっただけ。会社としてのOSTechに不満があったわけではありませんから。結果、復帰後は年収アップも実現しました。

「わからない」をなくす姿勢が大事です

理想のキャリアを追求するためには妥協を許さない、難波さんの姿勢が伝わってきますね。その姿勢は、エンジニアとしての仕事においても同じなのでしょうか。

そうですね。元々、何事も曖昧な状態にしておくのが好きではない性格。「わからない」という状態を早く解消したくて、自分で納得するまで調べたり、質問したりするようにしていました。例えば、今の現場での業務で、ソフトの中身を調べていたとき。あるモジュールについて、その設計意図がわからなくて。でも、私が勤務している製造部門には、わかる方がいなかった。それで、お客様の本社の開発部門に問い合わせたところ、納得できる回答をいただけました。

本社の方からすれば、出先の派遣スタッフから質問されたので、びっくりされたようですね(笑)。でも、そうした私の行動力は、私がお客様から信頼していただける要因になっていると思います。今は、本来は外部のメンバーが入れない、お客様の内部の打ち合わせにも参加させてもらえるようになりました。

最後に、今後の目標を聞かせてください。

エンジニアとしては、今までの現場の経験を活かし、「製造現場のDXをとおして品質や生産性を向上し、社会に貢献していきたい」という夢があります。また、マネジメントに力を入れていきたいですね。エンジニアのレベルに合わせて、何をどのように学べば成長できるのか、わかりやすく伝えられる環境を整えることが目標です。

編集部が直撃インタビュー! この機会に聞いちゃいました

エンジニアとしてわからないことがあれば、臆せず質問して疑問を解消していく難波さん。どうしたら「質問力」を鍛えられますか。

若手エンジニアを見ていると、質問を完璧にしようとしすぎて迷路に入り込んでしまい、結局質問ができなくなっているように感じています。疑問が発生したら、聞くことを悩む前にとにかく早く質問する。普段の生活でタイムパフォーマンスを意識している人も多いと思いますが、仕事も同じです。お客様の担当者の方に時間を割いていただいていることを意識してさえいれば、質問の“感性”が磨かれます。

私も元々は、人とのコミュニケーションが得意なほうではありませんでした。でも、「わからないことを質問して、その回答を基に早く仕事上の成果を出す」というサイクルを続けていくうちに、お客様を含め、周囲の人々が積極的に質問へ回答してくださるようになって。いつの間にか、コミュニケーション力が向上したように思います。

難波さんの仕事へのモチベーションの高さがうかがえますね! その支えになっているものは何でしょう。

やはり家族の存在でしょうね。妻と息子のことを考えると、仕事をがんばれる。それがモチベーションを高めることに繋がっています。

最後に、プライベートで夢中になっていることを教えてください。

音楽にハマっていて、休みの日は楽曲の制作やベースを弾くことに時間をつかっています。RIP SLYMEやMr.Childrenといったポップス系のアーティストの影響を大きく受けているので、楽曲制作もポップスが中心ですね。

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