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2020.08.31
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2020.08.31
代表取締役社長
茂手木 雅樹
OSTech社員のみなさん、WEB社内報で企画した“茂手木社長に聞いてみたい!”の質問募集に、たくさんのご応募、ありがとうございました! さっそく、寄せられた質問のなかから6つをピックアップして、茂手木社長を直撃。現場で働くエンジニアの仕事上の悩みについての質問から、社長自身のキャリア・ヒストリーにかかわる質問まで、たっぷり回答してもらいました。(この記事は2020年8月17日の取材をもとに制作しました)
はい、あります。意欲をもっている方は、ぜひ、手をあげてほしいですね。アウトソーシングテクノロジー(以下、OSTech)は“技術系人財の世界的プラットフォーム”をめざしています。そのなかで、日本のエンジニアが海外で働く選択肢が出てきているからです。
たとえば、お客さまのメーカーが海外へ進出するとき。進出先で働くエンジニアとして、社内にふさわしい人財がいないので、私たちにお声がけいただくことがあります。また、OSTechグループに海外企業がジョインしたとき。国内のエンジニアがその海外企業へ出向いて働いてくれれば、双方の橋わたしができる。
といっても、必ずしも「現地のエンジニアをマネジメントする」といった、高度なスキルが必要な役割を求めているわけではありません。現場で働く、いちエンジニアの立場でもいい。日本で働いてきたエンジニアとしての視点で、現地の会社を見つめ、「ひとつのグループとして、よりうまく動くには、なにが必要なんだろう」ということを考え、提案してくれればいいんです。ぜひ、立候補してください。
3点あげられると思います。まず、みなさんの雇用の安定。会社が成長しているということは、より多くのお客さま、より多くの案件をもつということです。特定の業界・会社の好不況に左右されず、安定的に売上をあげられる。その結果、エンジニアのみなさんの雇用を守ることができるわけです。
次に、最先端のテクノロジーに携われるチャンスがより多くなること。会社の成長によって、資金力が高まるので、新技術の研究開発や、それを適用する新事業の立ち上げに、より大きな投資ができるようになるからです。
そして、もうひとつ。エンジニアのみなさんそれぞれが新しいキャリアを築いていける環境ができます。会社の成長とは、社員数が多くなること。より多様なバックグラウンドをもった仲間たちが集まることで、「こんなキャリアの築き方があるんだ」「この先輩のようになりたい」といった、新たなキャリア形成の可能性に気づくことが増えるでしょう。その点、M&Aで拡大してきた経緯があるため、「元・〇〇社」という単位でまとまってしまい、多様な人財がうまく交流できていなかった面があると、反省しています。WEB社内報などを通して、みなさんのキャリアを詳しく紹介していくことで、横のつながり、ナナメのつながりを増やしていきたいと思っています。
そもそもメディアが取り上げている“派遣”は、みなさんの働き方とまったく違うものですよね。派遣会社が正社員として雇用せず、派遣先での業務が終了すると、派遣会社との契約も打ち切りになる。そんな雇用形態を批判しているんです。でも、みなさんはOSTechの正社員として雇用されている。ですから、“派遣切り”とは無縁です。
むしろ、この10年ぐらい、日本を代表するような大手メーカーがリストラや早期退職を繰り返してきました。OSTechで働いているほうが、よっぽど安定していますよ。
それにくわえ、OSTechでは最先端テクノロジーの研究開発に注力し、技術と人財をセットで提供することを推進しています。ですから、お客さまからは、「不足しているヒトを派遣してくれる下請け」ではなく、「イノベーションを起こすために必要不可欠なパートナー」と認識してもらえるように変わってきています。エンジニアのみなさんは、ぜひ、胸を張っていてほしいと思います。
与えられた仕事にプラスアルファの付加価値をつけられる人が成長します。それはなにも、お客さまに改善提案をするとか、大きなことを求めているわけではないんです。日常の小さなチャレンジに積み重ねが大事。たとえば、「もっと、プロジェクトメンバーに対して、あいさつしよう」とか。極端な話、「開けっ放しになっているドアを閉めておこう」でもいい。小さな勇気を発揮して、日常を少しずつ、ポジティブな方向に変えていく。それが積み重なって、自己成長を遂げていくんです。
20歳のころか…。そうですね、ビジネスの仕組みを、アタマのなかで研究していましたね。たとえばラーメン屋さんに入ったら、「ラーメン一杯700円。ビール飲んでいるお客さんもいる。平均すれば客単価は1,000円ぐらいかな。14席あって、1日5回転ぐらいはするのかな。そうすると年商は…」みたいな。もともと実家が商売をしていて、“あきんど魂”をもつように育てられましたから。高校生のころ、親からアルバイトを禁止されていたんですよ。「ヒトにつかわれるクセがつくから」って。だから、自然と「自分はなにかビジネスを起こすんだ」という意識になっていました。
明確に経営者をめざすようになったのは、新卒で就職した会社で、同期がどんどん辞めていくのを目にしたこと。「ビジネスモデルがすぐれているだけではダメなんだ。ヒトを活かすことができなければいけない」ということに気づいて。「人財をマネジメントすることにチャレンジしよう」と心に決めました。
ベンチャー起業家を紹介する雑誌『ベンチャー通信』の取材を受けた縁で、政治家の中田宏さんとお話しさせていただく機会がありました。そのことが大きな転機になったと思います。当時、私はOSTechの前身となる会社・グレイスケールを、ある程度の規模にまで成長させていました。それまで日本が得意としていた産業領域をアジア新興国にどんどん奪われていくなか、「サーバやネットワークなどは国内にずっとあるはず」とみて、インフラまわりを事業領域に定めたことで成功したんです。
でも、中田さんから、きつくダメ出しされたんです。「国内に残っている小さな市場を確保するだけなんて、志が小さい。かつてソニーやホンダがやったように、世界を相手に戦って、外貨を稼がなければ」と。確かにその通りで、一気に視座が高くなった気がしました。それから、中国向けに日本でデザインした帽子を販売してみたり、試行錯誤を繰り返しながら、「海外で戦う」ことを意識し続けています。いま、「技術系人財の世界的プラットフォーム」をめざしているのも、その延長線上にあります。
…こんな回答でよかったかな。現場のみなさんからの質問に接することで、みなさんとの距離が少し縮まった気がします。これからも、どんどん質問を寄せてください。